大変ご無沙汰してしまいました。
「こいつこのままフェードアウトするんじゃないか?」と心配された方もいるのでは、、と勝手に自分を大きく見積もっています。
正直に言えば、そういった類の葛藤もないわけじゃありません。
でも、先にこの文章の要点だけを説明するのであれば、
「音楽辞めません!もう一回いい曲書くために引っ越しますわ!」って話です。
GW中に書き始めて、言いたいことや言葉がまとまらずGWが終わってしまいました。笑
で、今も結局まとまってません。笑
ですので、読みにくいところ、理解し難いことも多々あると思いますが、興味がある人だけ読んでいただければと思います。
付き合いが浅く、お前のことどうでもいいわ!っていう方々に関しましては、
要約すると「上京します。でも群馬での繋がりも、今まで以上に大事にしますのでなんかあったらいつでも連絡ください!」
という大変簡潔な内容ですので、今後ともよろしくお願いいたします。
では、その完結な文章が書けないが故に頭の中をぐるぐるぐるぐるしていた文章をご覧くださいませ。
私にとって音楽を続ける上で、「必要とされている自覚」がなによりも必要です。
しかしこればっかりは、求めていれば与えてもらえるものではなく、音楽や自分が産み出す曲の力を信じることでしか、得ることができないものです。
数年前、LILYが活動を休止してからずっと、どうやって活動を続けていくか、悩み続けていました。
「新しいバンド」という選択肢が選べないまま、もう2年以上の時間が流れようとしています。
過去を引きずっている訳ではありませんし、過去のせいにしている訳でもありません。
ただ、パンチと橋倉というパートナー以上の人に出会えていないだけ、という話です。
「寂しいから誰でもいいから付き合いたい」って訳じゃなく、結局「好きな人としか付き合いたくない」のと感覚は似ているのかもしれません。
それでも音楽の近くから離れられず、応援し続けてくれた人たちとの関係を切りたくなく、惨めったらしく音楽を続けているのは、結局それでしか自分の価値を見出すことができないからです。
そんな情けない状態の「福島拓也」を応援してくれる人がまだ多くいること、陰ながら期待をしていると言ってくれる人がいること、こんな状況の中で出会い好きになってくれた人。そういった稀有な存在の人たちのおかげで、今でも音楽を続けられています。なかなか改まって言うことは多くありませんが、言わせてください。いつも、本当にありがとうございます。
バンドがお休みしてる2年ちょっとのあいだ、一人で音楽を続けました。
心から尊敬できる先輩から、「バンドが止まっていても、絶対音楽の近くから離れるな」と言って頂いたことがきっかけです。
路頭に迷ったとき、この言葉がどれほど支えになったか、わかりません。
活休の直後から、音楽に関わり続けるため、音楽にまつわる仕事をなんでもやりました。
頂いた話は全て断らず、ひたすらしがみつきました。
サポート演奏やコーラス、CMのBGM、ラジオのジングル、コンペ用の仮歌、カラオケの制作、演奏営業、ときには演歌の作曲なんかもやりました。YouTubeで動画を撮ってみたり、配信アプリの公式ユーザーとして、ひたすら配信をしていた時期もあります。お陰でバンド仲間にはYouTuberだとかなんとか、散々な言われ方をしたこともあります。
実際そう見えていたんだろうし、方向性を見失ったと思われても仕方ないなと思ってます。
全て、「音楽で生きていく」というたったひとつの目標のためでした。
おかげさまで、なんとか2年以上もの長いあいだ、群馬県内を中心に様々なお仕事をいただくことができ、なんとか生活をすることができました。
出会ってくださり、なおかつ福島拓也の音楽を信じて仕事をくださった皆様には、一生返しきれないほどの恩があると感じています。
バイトも辞め、ギリギリながらも音楽で生活をする中で、色んなことを感じました。
音楽で生きていくことの面白さや大変さ。
音楽を奏でることと創り出すことの違い。
自分にある才能と無い才能。
バンドマンのときの自分には見えなかったものが、たくさん見えました。
どんなものかと言われれば、説明することは難しいですが、「ああなんだ、こんなことだったのか」ってふと気がつく瞬間があったり、「これできてたの、よく考えたらすごいな」とか、客観的にバンドマンだった自分を振り返る時間として、大変貴重な時間でした。
そんな2年間の末、「もう十分頑張ったよなー」と考えたりすることもしばしばあって。「辞める理由」を探したこともありました。しかし、どうやっても「辞めない理由」の方が多くなってしまうもので。自分で決めたことを行ったり来たり。なんとも煮え切らない時間というか、どうでもいいような問答を繰り返していた気がします。
それでも。
結局行き着いた答えは、「もう一度音楽を創り出したい」という気持ちでした。
気がつけば、この2年間、自身の楽曲を制作することや、自分のために歌うこと、福島拓也が創り出す楽曲を好きだと言ってくれる人に対して割く時間が短くなっていたと思います。
理由は様々ですが、、、
一つ目は経済的な理由です。
音楽の近くで生きていくためには、自分の音楽をお金に替えていかないといけません。
そうなったとき、不甲斐ないことに自分が創り出す音楽の現在の価値は高いものとは言えません。それに対して、仕事としていただいいて演奏したり商用としての音楽の制作することには値札が付くのです。それらを比べたときに、どうしても仕事を優先してきたと思います。責任的な意味でも、締め切りがあるものと、自分の軸で創造するものでは、締め切りのあるものを優先してました。
二つ目は環境的な理由です。
色々な案件に取り組むうちに、音楽の形が自分の想像以上に広いことを知りました。
客観的に音楽に触れて、今まで敬遠していたことを取り入れ、良さを見つけました。
今まで狭い常識で音楽やってたな〜〜〜〜と心底思いました。笑
もっともっとインプットしなきゃ!と思い、夢中でいろんなことに手を出してたら、あっという間に2年経ってました笑
もとい。
三つ目。
結局は、一歩踏み出す勇気がなかったからということに尽きると思います。
あまりに多過ぎる思い出や、勝手に創り上げてしまった先入観やイメージ。そういったものに捉われて、なにを表現したらいいかわからなくなってしまいました。
何を歌えばいいのか、どんな形で歌えばいいのか、果たして聴いてくれる人はいるのか。
とはいえなにもしなければ忘れられるのではないか。
ありとあらゆる不安が常にありました。
表現をするということは、これらの不安とずーーっと一緒に生きていくことだとは分かっています。
そのありとあらゆる不安を真っ向から受け止めて、一歩踏み出す勇気を結局持てていなかったんだろうなと、そう思います。
人生の節目の年が終わろうとしているこの5月。
奇しくも時代も変わりました。
そうやって世間が慌ただしく動いている中で、「あ〜時代にも世間にも置いていかれちゃうな」って、漠然と思いました。
以前からずっと分かっていたことだけど、やはり自分から動かなければ、何も環境は変わりません。
誰かが救いの手を差し伸べてくれることなんてないし、人や環境のせいにしている時点で終わってるな、と。
先ほど挙げたどの理由に関しても、結局自分の弱さが招いたわけで、完全に人のせいにしてます。
こうやって取り巻く環境が変わるのを感じた今、正面からこれらの問題にも向き合わなければ、もう一生向き合えないなと、なんとなく直感し、今に至ります。
30歳という年齢の節目、時代の節目、色々なものの変わり目に、動き出さなければいけないと思います。
環境を変えて、もう一度音楽を、自分の音楽を作って歌っていこうと思います。
この場所には、あまりにも思い出が多すぎます。雑念も多すぎる。
毎日目に入る風景や景色、慣れた土地から離れて、もう一度、厳しい環境に身を置こうと思います。
きっとね、変わっていくものが沢山あるんじゃないかな。
すぐには形にならないかもしれないけど、愚直にもがき続けて、なおかつ楽しいと思える音楽を続けていきたいと思います。
とはいえ、群馬でずーっと育ってきて、今まで築いてきたものは全てかけがえのない財産です。普通であれば俺みたいなものが市のイベントで大型のドームで歌わせて頂くことはとか、FMキー局のジングルを作らせて頂けることとか、あり得ないことです。
そうやって繋いでくださった方々や、応援してくださる皆様には、本当に頭が上がりません。
そういった故郷の繋がり。
これから先も、心から大切にしたいと思います。
また、ずーーーっと言い続けてることなんだけど、いつか故郷に錦を飾りたいと、飾れる男になりたいと思っています。
めちゃくちゃ長くなってごめんなさい!
こんな感じで、現状報告です。
ここまで読んでくれたあなたは、間違いなく俺の理解者だと思います。
不特定多数の人に「あなた」って呼称使うのはどうかなとも思うけどさ、あなたの期待を裏切らないようにしていくよ。
もっともっとあなたと一緒に音楽を共有してく方法も考えるからね。
精進します!
これからもよろしくお願いします!
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